淡々と記録するよ

数多の星々の中のこの地球にあって

このブログの基本方針

法科大学院制度が始まって以来,制度として成功しているか否かはさておき,初歩~司法試験レベルの法学教育に対する関心が高まり,数多の学習書が出版されるようになったり新興の教育サービスが生まれたりしていることは周知の通り。

しかし,いくら教育方法が充実しようと,そこからこぼれ落ちる者はいる。私もその一人であり,いっこうに司法試験に合格することができないでいる。

私の感じている不満は,いくらわかりやすい説明も,いくら親切な指導者も,結局のところ,既存の諸々のルールにおいて「勝者」となった者が,その枠組みの中で勝者と認定されるための、ルールの中での踊り方を語っているにすぎないものであり,「そのルールは本当に正しいものとして飲み込んでしまってよいものだろうか?」という段階でつまずいている私のような者は,永遠に外に置かれたままとなるということである。私はべつに弁護士,裁判官,検察官といった職業の人に対して素朴な憧れを抱いたことは一度もなく、ただ,法曹が良い仕事だと思えればやってみようかと思うだけのことなのである。そうであるのに,法律学習に関するすべてのアドバイスは「法律家になるためには」という目的を所与のものとするところからスタートするから、参考にならないことが多い。

法学を社会における様々な営みの一つとして相対化したいわけだが,そのような視点を提供するいくつかのアプローチがあることは承知している。法社会学,法と経済学とか,「ローマ法」とか,あるいはロジカルシンキングであるとか。そういう蓄積が存在していること自体は心強い。しかしながら,私にとっての問題は結局のところ私の人生をどうするかということに尽きるのであって,法社会学や経済学の専門家になろうとしているわけではないので,究極の目的を共有していない。いわば都合よく利用するという心構えで取捨選択しないと時間ばかり食われて法解釈論の基本的な勉強がおろそかになるなあと思っている。